こんにちは、キツネパパです。
今、僕は病棟で看護師として働いています。記録を書き、患者さんの様子を見て、痛みを訴える人に寄り添いながら、「おはようございます」と、いつも通り声をかけています。
でも、誰にも言えなかった気持ちがあります。
患者さんの「いちばん」は、きっと僕じゃない。信頼されなくてもいい、と思いたい。でも、嫌われるのはやっぱりつらい。
目次
- 患者さんの「いちばん」は、僕じゃない
- 嫌われると、やっぱり落ち込む
- それでも今日も、白衣に袖を通す
- 最後に
患者さんの「いちばん」は、僕じゃない
患者さんにとって、本当に一番大事なのは、僕たち看護師だけではない。家族だったり、長年連れ添ったパートナーだったり、本当に心から信頼している人がいる。
だから、信頼されなくたっていい。嫌われたって、それでも構わない。最初は、そう思っていた。
看護の現場では、積極的に患者さんや家族に関わりに行って、関係性を作っている人もいる。
だけど僕は、そこまで患者さんに関わろうと思えない。
病院だけの関わりで、その患者さんの信頼を勝ち取ろうなんて、おこがましいんじゃないかと思ってしまう。
だから、極端な話、患者さんが退院したら、次の日には僕の名前なんて覚えていない。そんな関係でもいいと思っている。
誰かの人生の中心に、僕がいる必要はない。それでも現場に立ち続ければいい、と頭では理解している。
嫌われると、やっぱり落ち込む
でも実際は、患者さんに冷たくされたり、名前を呼んでも無視されたり、あからさまに嫌な顔をされると、気分は落ち込む。
「自分の対応、どこかまずかったかな」「もっとやさしくすべきだったかな」
そんなことを考えて、夜勤明けの帰り道、ぼーっとしながら遅めの惣菜弁当を食べたりしている。忘れようと思っても、心に引っかかるときもある。
信頼されなくてもいい。それはたしかに本音でもある。でも、やっぱりどこかで、誰かに認められたいのかもしれない。褒められたいわけじゃない。それでも、嫌われるのはつらい。
それでも今日も、白衣に袖を通す
それでも——今日も僕は病棟に行っている。
大きなことは何もできていない。誰かの命を劇的に救ったわけでもない。でも、自分なりにできる精一杯をやっているつもりだ。
せめて自分にだけは、「今日もちゃんとやったよな」と言えるように。そんな気持ちで、白衣に袖を通している。
患者さんの「いちばん」じゃなくてもいい。信頼されなくてもいい。それでも、看護の現場に立ち続けている。それが、いまの僕の答えです。
最後に
もし今、
「信頼されなくてもいい、と言いながら傷ついている」
「他人に嫌われた気がして、帰り道が重い」
そんな あなた がいたら、伝えたいことがあります。
僕も同じです。正論と本音は、いつも一致しません。それでも、誰かの一日に、小さくでも関われる仕事がある。
遠回りして、落ち込みながら、それでも続けている。それだけで、十分すぎる日もあります。
では、また。


